気付きを促す思いやり
大人の物の言い方の一つに、相手に何かを教える時に、
「それって、○○なんですよ」
とは言わずに、あたかも自分が知らないことを相手に教えてもらう、あるいは確認するかのように、
「それって、○○なんでしたっけ?」
と言う「言い方」がある。
それを自分は、回りくどい、嫌味な言い回しだと思っていた。
大人になりきれない証拠かも知れないけれど、ストレートに言ってもらった方がまだ気持ちが良いというケースに遭遇したこともあるから、かもしれない。
だから、自分では、なるべくストレートに、素直に言うようにしていた。
けれど、言われる側に立ってみて、相手から教えてもらうその事が、自分が知っているにもかかわらずうっかり忘れているというような場合には、ストレートに言われると「先回り」されたような感じがしてあまり気持ちが良くない。ということに最近気がついた。
教えてもらう、というよりもむしろ、自分がそのことを忘れていることを責められている、という感じを受ける。
そういう場合、忘れていることに気付かせてもらえるような言葉をかけてもらえたら、そういう感じはないだろうと思う。
そういうものの言い方は、相手に対する思いやりを表すための技術の一つだ。
逆は必ずしも真ならず、というか、文字に直したら同じ言い回しでも、口に出す時の声の感じで、いとも簡単に、相手の中に嫌な感情を呼び起こすことはできるだろう。
だから、言葉を発する時の心の置き所だけが問題であって、表現はストレートで構わない、となると話は始まりに戻ってしまうので、とりあえず、「正しい技術は、正しい心をともなわせてこそ生きる」というところで落ち着かせておく。
それより後は、その人の「ありよう」とか「生きざま」だとか、言葉としては何を意味しているか不明瞭だけれど、ごまかしようもなく明らかに存在している「その人」次第だと思う。
こういうことが「心技一体」とか「心技体」とかいうことの内容だろうかと仮説を立てておく。あとはじっくり反芻してみることにしよう。
それか一回捨ててみて、向こうから戻ってきたら拾ってみることにしようか。