ケータイ小説における文学的主題

速水健朗ケータイ小説的。』を読み終わる。「郊外論」をベースとした部分が特に不勉強のゆえ消化しきれなかったが、とても興味深く読んだ。特に、この部分:

障壁なしには恋愛はストーリーを成さない。ケータイ小説において恋愛ストーリーを成立させている障壁とはいったい何か。彼らの間に立ちふさがるものは、彼ら自身が生み出しているコミュニケーションという逃れられない檻である。

「優しい関係」もしくはAC的な作法は、傷つけあうことを避けるために生じた技術だが、その技術が浸透するとそれ自体が抑圧となり、現代ならではの生きづらさを生んでいる。そして、それらとの対峙こそが、ケータイ小説における文学的主題であると言えるのではないか。

で、だいぶ謎が解けた。ここまで分析した著者の洞察力と根気強さに拍手。

たまたま観たNHKの朝の連ドラ「瞳」で、中学校のクラスでダンス部を設立する梨亜が、家族に向かってその意気込みを「けんかしあえる関係を作りたい」からと語る。連ドラは、時代ごとの意識をドラマから読み取ることができるようになっている、と思うから、新聞を読むつもりで、連ドラから読める世の中の傾向を読んで見たい、とは思うけれどなかなかその時間がない。

ずいぶん前に読みかけた、桜井 哲夫 『言葉を失った若者たち』 をそのうち読み返してみたい。