6月の木の実
今年も近くの公園に桑の実がたわわに実った。
娘を肩車に乗せて、枝をちょっとつついたとき「落ちる予感」がする実を数十個いただいてきた。
この公園の近くに引っ越してきたのは4年目になるのだが、桑の実が実ることを知ったのは去年から、木の下で実を摘んでいる人をみかけてからだ。
去年も気になっていたのだが、結構強引に摘んでいく人がおり、枝が折れていたり、スーパーのレジ袋にいっぱい、2kgくらいあっただろうか、つめている人もいた。もしかして、温暖化で実の数が増えてきている?のならいいのだけれど…いや、良くないか。
高いところにあって採れない実は鳥に、低いところの実は子どもたちに、という余裕があれば良いのだが、競争相手を見るとつい心臓の鼓動が早まってしまう。
実はまだ赤みがあるうちは味が薄く、熟しすぎると乾燥してしまう。せっかくの実は食べごろのものを選んで少しづつ頂くのが良いと思う。その方が「与えられた」恵みを頂いている感じがして嬉しい。
ところで、自然の樹木には先客がおり、枝には巨大なカタツムリや、去年はスズメバチが「停泊」しているのを見つけた。
貝原益軒の「養生訓」をネットで読んで、野菜の食し方として、「一晩水にさらしてから」とあるのを見つけたのは最近のことだ。その心に思い当たるふしがあり、無農薬野菜などで一晩水にさらすことを実践したところ、小さな先客たちにお目にかかることができた。
それ以来、無農薬な山野の恵みをいただく時は先客に敬意を表しつつ、一度水にさらすことにした。
最近の子供は学校で環境教育をきちんと受けているらしく、見聞きする彼らの言動から、自然の生き物を取ってはだめということをきっちり教えられているように思われるふしがあるが、言葉としてよりも、より実践に近いところを通じたほうが良いと思える。うちのはまだ小さいので水にさらすプロセスはまだシークレットにしているけど。