あきる野のラ・フーガスでサラダランチをいただく。
世田谷区にあったという、評判のパン屋さん、ラ・フーガスが近所のあきる野市草花に移転してきたという話題をまちBBSで知っていたので、今日はお昼を食べに寄ってみた。
あきる野市民プールを目印に探すと、白壁にすじかいの入った洋館風の建物が目に入る。
入り口で、サラダと、パンの盛り合わせ、飲み物とデザートの付いたサラダランチを選ぶ。店の中は明るく、食事のできるスペースは家庭のリビングくらいの大きさだ。カウンター席はなく、窓から見える平井川の緑がまぶしい。
パンの盛り合わせは、5種類くらいのパンが一切れずつ。どれも味わい深く香ばしい。しばらくすると盛り合わせのおかわりはいかがですかと聞かれた。迷わずサラダランチを選んでいて予め店内でパンの品定めをしていなかったので、種類をどれにしたら良いかわからず少し困った。
おかわりで頂いた、ほかほかのブリオッシュはケーキのようだった。BGMでかかっている小野リサのカバーするスタンダードが雰囲気にぴったりで、幸せ感いっぱいだ。
食後しばらくの時間、コーヒーを飲みながら、速水健朗の「ケータイ小説的。」のページをめくった。ケータイ小説は「郊外」をベースにした物語で、携帯電話の普及が、「地元つながり」を持続させ、生まれ育った環境を意識させるといった、そういった風土の中で生まれた物語ということだ。
どうでもいいことだが、自分の場合、携帯電話で育った世代ではないが「地元つながり」をとても意識する傾向がある。自分の場合、学校の関係で中学から「地元」に住まいながら地元とのつながりが断たれたということがあるので実際の地元つながりは失われているのだが、ネット上では「擬似クラスメート」のような同い年の繋がりに参加した時期が最も長かった。西多摩に「西方移動」した理由のひとつが、自分の子供には、自分が育ったときと同程度の自然環境の中で育ってほしいという願いだったが、これもある意味、生まれ育った環境への回帰を果たしたのかもしれない。さらには、地元でお囃子を始めたりもしている。
世代をさらに遡ると、母の実家は世田谷にあって、母といっしょに実家に遊びに行くと、明○屋のピーナツバターをぬったパンに、ハムとレタスと缶詰のアスパラガスをおかずにした朝食が質素ながらおいしかったこと、「○○クック」と書かれた紙につつまれたそのハムをとっておきのように出してくれた祖母の顔を覚えている。
ちなみに、昭和30年代の世田谷のその辺りは、今のあきる野市同様の自然環境だったらしく、ラ・フーガスが世田谷で開店したのがそんな昔だったかどうか分からないけれど、ひょっとしたら移転したのは生まれ育った環境への回帰だったりして、と勝手な感情移入をしてみるのでした。
タイトルに長文は使いたくないわけですが、このエントリのタイトルは実は、
「生まれ育った郊外に帰った世田谷のパン屋さん(想像)で懐かしいサラダランチをいただく」
という事になるのかもしれません。
話のふくらみついでに。2-3年前に小林克也がNACK5の金曜昼間のFM番組で、あきる野あたりを指して、「東京の田舎の方」っていうのはいいんだよね、という発言をしていたのを意味深く受け取った自分なのですが、あれには何か背景があったのだろうか?と今更ながら振り返ります。